40歳になるまでは、ある程度勢いで行動していましたが、40歳を過ぎて数年が経過した頃から、人生の残り時間を考えるようになりました。
なお、このブログでは決して悲観的な話をする予定はありません。ただ、挑戦することに年齢は関係ないとは思いつつも「あと何回、年が越せるだろう」「あと何回、友人に会えるだろう」とただ漠然と考えることが増えました。
ついに僕もそんな年齢に到達したようです。
思い描いていた未来とは少し違う
僕が子供の頃に描かれていた未来の姿は実際は少し違うものになりました。40歳になるまでに車は空を飛ばず、リニアモーターカーの商業運用は始まりませんでした。
色々な事情で遅々として進まないリニアモーターカーの工事状況を「リニアモーターカーの一部区間が開通する頃にはきっと後期高齢者になっているだろう」と諦め気味に眺めています。
でも、子供の頃に心配していたような、人類は全身タイツを着る生活はしておらず、宇宙人は襲来せず、ノストラダムスの予言も今のところ外れているようです。
そして、僕が子供の頃には登場が予想されていなかったスマートフォンが日々の生活に彩りと、多少の不安を与えてくれています。
何でも治せる万能薬は登場しなかった
iPS細胞が話題に上がった頃、「現在治療が困難な様々な病気が、将来的にiPS細胞によって治療が可能になる」と言われており、大いに期待していました。
ただ、現時点では病院に行っても先生から「この病気は薬では治りませんが、iPSで根治できますよ」と提案されることはなく、iPS細胞での治療が一般的になるのはまだ先の未来だと感じています。
また、様々な治療法の確立により生存率は大幅に上がっているとはいえ、厚生労働省の「人口動態統計」の「死因簡単分類別にみた性別死亡数・死亡率(人口10万対)」によると、日本人の死因の第1位は「癌(悪性新生物)」です。
現時点でも、癌は風邪薬のように薬を飲んで治すことができません。人類はまだ、何でも治せる万能薬を手に入れていません。
仕事と趣味が共存している
突然ですが、僕は絵が描けません。棒人間を描くのがギリギリですが、棒人間の姿勢を変えようとするともう無理です。そんな僕がデザイン業に携われているのは、PC、デザイン用アプリ(ソフトウェア)の存在が大きいと言えます。
手描きでは狙った場所に狙った線が描けなくても、アプリで何度も線を引き直すことで自分が狙った場所に狙った線を描くことができます。それによってデザインを制作し、絵は描けないながらも、なんとかやってきました。
現在、仕事で使用しているデザイン用アプリは、サブスクリプション契約で利用していますが、毎年の支払額は決して安くはありません。
また、デザイン用アプリを快適に利用するには、高性能なグラフィックボードや大容量のメモリを搭載するPCが必要になりますが決して安くはありません。もし、廃業、引退をした場合、その時点で数年おきにPC、アプリを買い替えることは経済的に難しいと感じています。
そして、僕の趣味も「何かをデザインをする」ことであるため、仕事と趣味が共存しています。つまり仕事を辞めた瞬間に趣味も失う可能性が高く、その現実を想像することに漠然とした不安を感じています。
ただ信じてここまでやってきた
20代の頃、永遠に続くと思っていた明るい未来も、20数回の年越しを経て「あと何年元気で過ごせるだろう」と考えるようになりました。そして、どんなに多くても、あと30数回、おせち料理を食べると、僕の人生は終わりを迎えるでしょう。
僕は、20代の頃に専門学校でデザイン理論の勉強をしていたものの、すでに述べたように、自分が思い描いたものを描くことはできませんでした。
たまたま手に取った、五十嵐威暢さんの「デザインすること、考えること」を読み、その中に書かれていた「うまく絵を描ければそれはそれで良いが、描けなくてもデザイナーとして活躍している人は大勢いる」との言葉をただ信じて今に至ります。
今となっては、その判断が間違っていたのか、正しかったのかは、なんとも言えません。いまだに、誰かを感動させるデザインは作れず、デザイナーとして有名にもなれていません。それでも、何かを考え、何かをデザインすることを今も飽きずにやっています。
人生の残り時間を考える
80歳まで生きるとして、日数にすると29,220日(365.25日 × 80年)、元旦を80回体験すると人生は終わりを迎えます。
それを短いと考えるか、長いと考えるかは人それぞれですが、第16代ローマ皇帝だったマルクス・アウレーリウスは「自省録」の中で「あたかも一万年も生きるかのように行動するな。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ。」との言葉を残しています。
僕はこの言葉を「長いと思っている人生もあっという間に過ぎる。やりたいと思っていることを棚に上げている余裕なんてない」と解釈しています。だけど、明るい未来より、人生の残り時間を意識する年齢になった今、新しいことに挑戦することを戸惑っているように感じることがあります。
まとめ
僕自身は80歳まで生きるつもりでも、もしかしたら、すでに数年前、十数年前には人生の折り返し地点を通過しているかもしれません。
あと、人生が何年残されているか分からない状態で、今から新しい仕事を探す勇気はなく、新しいことを始めても納得するレベルに到達するには残された時間が足りないように思います。
だからこそ、これからも必死で「何かを考え、何かをデザインする」ことにしがみつくしか手段がありません。毎日何かを作り、生活をするための最低限の金銭を稼ぎ、可能な限り健康で日々を過ごしていきたいと願って止みません。
僕たちの先祖も大規模災害、世界大戦を経験する中で「今はどん底だけど未来はきっと明るいはず」と信じて進んできたはずです。僕ももう少しだけ未来を信じてみたいと思います。