僕は広義には「デザイン業務」に従事していますが、基本的にWebサイトの制作を専門にしています。僕の仕事は「Webデザイナー」と呼ばれますが、昔から「デザイナー」と呼ばれること自体に、どことなく小っ恥ずかしさを感じており、普段は自分の職業を「Webサイト制作者」と言っています。
ただ、このブログでは文字数、分かりやすさを考慮して小っ恥ずかく感じつつも「Webデザイナー」と表現します。まず、Webデザイナーと呼ばれる仕事がいつ登場したのか考えてみたいと思います。
Webデザイナーと呼ばれる仕事の登場
まず、インターネットがどのように一般家庭に普及した要因として、Microsoftの「Windows」が大きく影響したと考えられます。1995年に発売された「Windows95」、1998年に発売された「Windows98」により、PCをインターネットに接続する環境が整いました。
また、それと同時に、一般家庭にも徐々にPCが普及しました。それに合わせてインターネットへの接続サービスが従量課金から定額課金(固定料金)に移行したことで、爆発的にインターネットを利用する方が増えたと考えられます。
その結果、企業や個人のWebサイトでの情報発信の必要性が高まり、Webサイトの所有を検討する企業が増えたことは自然の流れだったはずです。また、CIやブランディングから見やすいWebサイトが求められるようになったと推測できます。
これらのことから、2000年頃にはWebサイトをデザイン、制作する職種として「Webデザイナー」と呼ばれる仕事が誕生し、その後、Webサイトの需要が高まると共にWebデザイナーも増加したと考えられます。
1996年にPCを買ってもらった
初めて自分用として親に買ってもらったPCは、1996年頃だったと記憶しています。親にねだったわけでもなく「興味がありそうだ」との理由で当時も決して安くはなかったPCを買ってもらったことは、その後の僕の人生に大きな変化をもたらしました。
当時使っていたPCの型番や名称は覚えていないものの、富士通製の一体型PCでCPUが120MHz、HDDが1GB、メモリが16MBなどのかすかな記憶を頼りに色々調べてみたところ「FMV-DESKPOWER CE」ではなかったかと考えています。
かすかな情報を頼りに1996年当時に使用していたPCが発見できたこと以上に、28年前の製品情報ページを今でも残し続け、過去の記録としてだけでなく、インターネットを歴史的なアーカイブとして捉えている富士通の姿勢にある種の感動がありました。
現在、僕が利用しているPCは「Apple M2 Pro」のため、ITmedia NEWSの記事によると、CPUは約3.5GHzとされています。また、SSDが2TB、メモリが32GBと、単純比較は困難ですが、「FMV-DESKPOWER CE」と比べて性能的に1000倍以上向上していると考えられます。
Nifty-Serveが全ての始まり
1996年でもインターネットを利用して、様々な方と交流をしていました。ただ、現在のような交流ではありませんでした。当時は、インターネットも高速ではなく、電話回線を利用してモデムで接続するため、「14.4kbps」や「28.8kbps」程度が一般的でした。
また、僕は「Nifty-Serve」を利用していましたが、「Nifty-Serve」はパソコン通信サービスと呼ばれるコミュニティで、「Nifty-Serve」の会員同士でしかやり取りができなかったものの、フォーラムと呼ばれる電子掲示板や電子メール、ファイル転送などのサービスが提供されていました。
1996年のインターネット事情
また、この頃のインターネットは、定額課金(固定料金)ではなく、利用した時間や通信量に応じて支払う金額が変わる従量課金でした。また、インターネットに接続中は自宅の電話回線を占有してしまうため、1日数回、インターネットに接続をして、必要な情報だけダウンロードしたら切断するような使い方が一般的でした。
当時は、無料で提供されるアプリを「フリーウェア」、有料で提供されるアプリを「シェアウェア」と呼んでいました。PCは基本的にオフラインで利用することが一般的だったため、便利なアプリをCD-ROM付きで紹介している雑誌が多数販売されていました。僕は付録のCD-ROMが目当てで雑誌を買っていた気がします。
また、僕は、1995年に創刊された「Windows Start」を定期購読していました。その後、「Windows Start」は、2006年に雑誌名が「WindowsMode」と変更され、翌年の2007年に休刊したようです。
PCの専門学校に入学した
2000年に大阪にあるPCの専門学校に入学しました。特に「PCを利用する仕事に興味がある」ということでもなかったのですが、父親の勧めで何となく入学しました。完全に受け身のような人生を過ごしていますが、それが結果として今の人生につながっています。
当時は、Webサイト制作を専門に教える学校はほとんどなく、僕が入学した専門学校も「マルチメディア学科」はあったものの、Webサイト制作に特化していなかったこともあり、「グラフィックス学科」に入学して、Adobe Photoshop、Illustratorの操作方法に苦戦する日々を過ごしました。
インターネットの接続環境が変わった
2001年頃に「Nifty-Serve」を解約して「eo64エア」に切り替えたように記憶しています。「eo64エア」は通信料金や接続料金が定額制だったことで、今と比べて通信速度は遅かったものの、常時接続が可能になり、僕のインターネット環境は大きく変化しました。
これにより、利用料金を気にすることなく、Webサイトの閲覧を楽しむことができるようになり、徐々にWebサイト制作への興味が高まり始めたように感じます。
Webデザイナーが注目を集め始めた
2000年頃からインターネットが従量課金から定額課金に移行し始めました。それにより、インターネットの利用者が増え、Webサイトからの情報発信が注目を集めるようになったことで、Webデザイナーと呼ばれる仕事に注目が集まり始めました。僕が定期購読していたPCの関連雑誌も、WebサイトやWebデザイナーの特集が増えるようになり、徐々にWebサイトへの興味が高まりました。
専門学校に入学当初は、「Webデザイナーになりたい」との感情はなかったものの、HTMLタグへの興味はあり、毎日、メモ帳を使いながらHTMLタグを独学で勉強していました。その結果、解説書を見なくても基本的なHTMLタグは記述できる程度に暗記していました。
今では多くのエディタで、途中までHTMLタグやCSSを入力すると入力候補が表示される「コード補完」と呼ばれる機能が実装されていますが、当時のエディタにはありませんでした。そこで、解説書などを見ずにHTMLタグを入力できる場合、制作現場ではある程度、重宝されていました。これは「手打ち入力」とも呼ばれます。
様々なHTMLタグの解説書が発売されていましたが、僕は解説書を見ながらというよりは、興味があるデザインのWebサイトがあればブラウザの「ページのソースを表示」から、HTMLソースを確認して、その部分を真似ることで処理の意図を理解していたように感じます。
例えば、一定時間で文字の色が変わる処理を見かけると、「ページのソースを表示」からHTMLソースを確認してもよく分かりませんでしたが、HTMLソースをあれこれと色々と調べていると、「JavaScriptという言語が存在するらしい」と分かるなど、実際のWebサイトのHTMLソースを見ることで、勉強する範囲を少しずつ広げていたように思います。
今でも気になる部分は開発者モードでHTMLソースを見る癖は変わりませんが、現在は、ブラウザが表現できる機能が複雑になり「これなんで動いてるの?」とよく分からないことも増えつつあります。
紆余曲折あり就職活動
僕は氷河期世代とされる世代のため、多くの同級生が就職活動に苦戦していたように記憶しています。
また、2004年になると、数多くのWebサイト制作を専門にするデザイン事務所がありましたが、多くの制作事務所が少数のスタッフで運営されており、経験者の求人は多いものの、未経験者には面接まで行くのも難しい状況でした。
未経験で制作実績のない僕にとっても厳しい就職活動になりましたが、スタッフが10名以下の制作会社にターゲットを絞り、求人募集の有無にかかわらず、ひたすらメールフォームからメールを送り続けました。今思うと、非常識な行動のようにも感じますが、若かった頃の僕は今よりも行動力があったようです。
その結果、1つの事務所が「興味があるならうちにおいで」と声をかけていただき、Photoshop、Illustratorの基本操作ができて、HTMLタグが手打ち入力できるだけの僕が、デザイン事務所に入社することができました。
また、2004年頃にはテレビCMなどで頻繁に「続きはウェブで」と言われるようになり、テレビや雑誌などに続く、第3のメディアとしてWebサイトの重要性が増しており、情報発信のあり方に変化が起きていました。
情報発信の変化
少し話が逸れる上に、出典があるわけではなく、僕の感覚での話になりますが、最近ほとんど聞かなくなった「続きはウェブで」ですが、この言葉が登場したのは2000年頃で、2004年頃にはある程度一般的になっていたと感じています。これは、15秒や30秒といった短いCMでは伝えきれず、より詳細な情報を掲載したWebサイトに誘導することを目的にしていましたが、現在では「続きはウェブで」はほとんど聞かれなくなりました。
その理由として2013年頃からスマートフォンの所有率が増加して、誰でもインターネットへの接続が容易になったことに加えて、情報は自分で調べるなどの情報リテラシーが向上したことが要因ではないかと考えています。それにより、徐々に使われなくなり、2024年時点でほとんど耳にすることがなくなったと考えています。
Webサイト制作に携わり20年
2024年現在、Webサイトの制作に携わるようになって20年、個人事業主として14年目を迎えています。20年間のWebサイト制作の中で、HTMLタグの廃止や追加、CSS2の登場などはありましたが、2019年頃まではWebサイトの制作方法に大きな変化はなかったように感じます。
その大きな要因として、Microsoftが開発、提供していた「Internet Explorer(以下、IE)」と呼ばれるブラウザの存在が大きかったと感じています。2001年に発売された「Windows XP」にIE6が標準搭載されていたこともあり、2000年代初頭にはシェア率が90%を誇っていましたが、2010年頃には50%を切るようになりました。しかし、それでも自治体などのWebサイトの多くが、IEでの表示を前提にしていたため、多くのWebデザイナーがIEでの表示を前提にしたWebサイトを制作していました。
現在のFirefox、Google Chromeなどは、定期的にアップデートが行われていますが、IEのアップデートはOSのバージョンアップ時に限られており、新しいCSSの処理が登場しても、制作現場で利用できるのは数年後というのが普通になっていました。
具体的には、
- 新しいCSSの処理が利用できない
- 透過PNGファイルが認識できない
- レンダリングエンジンが古く解釈が異なる
- JavaScriptの解釈や挙動が異なる
- 標準規格とは異なる独自の仕様を採用している
- セキュリティの脆弱性
のような問題を抱えていました。
そこで、2019年、2020年頃から、Microsoftは積極的にIEの利用中止を呼びかけ、2021年に、Microsoft 365、Internet Explorer 11 デスクトップ アプリケーションのサポートの終了、2022年には、IE11を起動しようとすると、Microsoft Edgeが起動するようになりました。これらの動きにより、2021年頃には、多くの自治体のWebサイトもリニューアルが実施され、IEでの表示が非推奨に変わっています。
これにより、セキュリティアップデートだけではなく、新しい技術が開発されても、ブラウザの定期的なアップデートで対応できるようになり、Webサイトを取り巻く環境が大きく変わりました。制作側が新しい情報にしっかり追いつく必要があり、継続的な制作環境の学習、CMSなどのセキュリティ対策、ユーザーエクスペリエンスの変化を常に意識する必要が出てきました。
これからの20年はもう想像できない
正直、これからの20年どころか、3年後のWebサイトの制作環境がどうなっているのかも想像もできません。
例えば、過去のWebサイトは、依頼者がWebサイトの更新をしたい場合、制作会社に依頼する必要があったため、制作者は更新作業によって収入を得ていました。しかし、CMSの登場により、依頼者がブラウザ上から、Webサイトが更新できる環境が整いました。これにより、更新作業での収入は激減したものの、CMSへの実装費用によって、収入を維持していました。
しかし、CMSはコンテンツ管理部分と表示部分(Webサイト)が一体化しており、Webサイトのデザインや機能がCMSに依存していました。そこで、それらの問題に対応するため、コンテンツの管理部分と表示部分を切り離して管理できるヘッドレスCMSが主流になりそうな傾向を感じています。これにより、また収入方法は大きく変化するはずです。
新しいことを勉強をしても、数年後には古い技術になる問題を常に抱えながら、この20年間を過ごしてきました。しかも、近年はノーコードと呼ばれる、プログラミングの知識やコードを書かなくても、Webサイトなどを開発できるサービスの登場に加えて、AIの登場が制作環境をより複雑にしています。
数年もすれば、Webサイトを制作する立場としてのWebデザイナーはいなくなっているかもしれません。これからのWebデザイナーにどんな技術やスキルが求められるかを探りながら、毎年毎年を確実に過ごしていく必要がありそうです。