僕がWebサイトの制作の仕事を始めて、今年で21年目を迎えました。広義では、僕の仕事はデザイン業になると思いますが、21年間の仕事の中で、僕は自分自身を「デザイナー」と感じたことは1度もありませんでした。
「デザイナー」と感じなかった感覚
Webサイト制作の仕事を始めた2004年頃の情報発信は、テレビやラジオなどのメディアや、チラシや雑誌などの紙媒体が主流で、Webサイトでの情報発信は一部の企業などに限られていました。また、当時のPCのディスプレイは小さく、Webサイトの横幅は800px程度を最大に設計されていました。
2004年当時は、「UIデザイン」の概念は希薄でしたが、僕の中では、小さな領域に様々な情報を配置する作業は、デザインというよりも、操作パネルを設計しているような感覚があったのかもしれません。
それらの感覚が、自分の仕事を「デザイン業」と認識していなかったようにも感じています。
ただ、子供の頃からの、何かを考えて、それを形にする、という表現や創作への欲求は、Webサイトの制作によって満たされていました。
真似ることで学ぶ
子供の頃から、手先は不器用で、絵は全く描けませんでした。それでも、創作意欲の思うままに色々なものを作るものの、自分が考えるクオリティが達成できず、子供ながらにストレスを感じていたように思います。
そんな中、10歳ぐらいの頃に、レゴブロックと出会いました。図形だけで説明され、文字がほとんど書かれておらず、年齢や国籍に関係なく理解しやすい説明書通りに作れば、いい感じの車やトラックが作れることを知りました。
もしかすると、レゴブロックをきっかけにして、何かを創作する際は、誰かの作品を真似ることで、自分の創作物を少しずつ自分の希望に改善していける、と無意識に感じ取れたのかもしれません。
特に深い動機もなく挑戦した「Webサイト制作」でしたが、実は子供の頃のレゴブロックを通して感じた、「何かを作る楽しさ」「真似ることで自分の理想に近づけることができる」という原体験が、この仕事を選ぶきっかけの1つになっているのかもしれません。
仕事でのデザイン制作
子供の頃からの「考えることやデザインをすることが好き」という気持ちを原動力に、今も、日々の制作業務で、何かを考え、何かをデザインしています。
ただ、仕事でのデザイン制作は、自分の好き勝手に制作できるわけではなく、あくまでもクライアントさんからの希望に合わせて、形にするお手伝いをしていると考えています。
そのため、例え、完成したデザインの中に僕の癖が漏れ出ていたとしても、商業デザインとして、デザインの中に僕の存在が含まれないように、最大限に注意をしています。
自発的にデザインを作らないのかというと、そんなことはありません。仕事以外でも、デザインをあれこれ考えることは好きですが、日々の仕事としてのデザイン制作で常に、創作への欲求が満たされてしまうために、自発的に何かを作る気持ちになることは、あまりありませんでした。
そんな僕が、ある日、ふと思い立ち、雑貨づくりを始めることになりました。
雑貨作りを始めたきっかけ
雑貨作りを始めたきっかけは、僕自身が持つADHDの衝動性による特性が大きいと感じています。ただ、その衝動性が生まれるまでに、自分なりに色々考えていたように思います。
手に持てるものをデザインしてみたかった
Webサイトは、定期的にデザインのトレンドが変化します。また、数年おきにブラウザやシステムなどの仕様も変わるため、常についていくのがやっと、という感じですが、それなりに楽しくやっています。
ただ、Webサイトは、手に持つことができません。20年を超える仕事の中で「自分で作ったものを手に持ってみたい」という感覚が常にあり、特に紙媒体のデザインを専門にやっている知人を羨ましく感じていました。
ブラウザの取り巻く環境が変わった
最近では、特定のブラウザでの表示のみでしか、表示が検証されていないWebサイトも登場していますが、基本的に、Webサイト制作では、クロスブラウザと呼ばれる、異なるブラウザでもWebサイトが同じように動作や表示できるようにする考え方があります。
過去には、Microsoft社が開発したInternet Explorer(以下、IE)と呼ばれるブラウザが、全世界で凄まじいシェア数を誇っていました。現代では、様々なセキュリティリスクに対応するため、ブラウザは定期的にアップデートされていますが、IEがアップデートされるのは、基本的に新しいWindowsが発売されるタイミングでした。
そのため、CSSやJavaScriptを含めた、ブラウザの新機能は数年おきにしか実装されず、Webサイトの制作環境でも、数年ごとに新しい仕様を勉強すれば、なんとかなっていました。しかし、現代では、提案されたCSSのプロパティが、数ヶ月後には標準化されていることが当たり前になりました。
それにより、ブラウザで表現できる技法が日々、変化することになり、50歳になった時に、Webサイトを制作している自分の未来が想像できなくなりつつありました。
当然ですが、個人事業主には給料などの定期収入がないため、収入源を分散して、リスクに備える必要があります。ただ、僕は運が良いのか、悪いのか、個人事業主になって以降、Webサイト制作以外で収入を得たことがありませんでした。
しかし、情報発信の多様化や即時性など、情報発信の変容を踏まえると、今後も継続的にWebサイト制作の需要があるのかに疑問を感じていました。
また、デザイン業は相談内容に対して、きれいな状態に整える仕事のため、日々の業務の中で「見やすいですね」「良いデザインですね」と褒められることはあまりありません。
そんな色々なことが理由になり、僕を雑貨作りに駆り立てたように感じています。
四十の手習いで始めた雑貨作り
デザインだけなら何とかできるかもしれないという安易な考えと、四十の手習いの気持ちだけで、2019年の春頃に、小ロットで製作が可能な缶バッジのデザイン制作を始めました。
ただ、この時点では、自分の中では、雑貨作りは趣味のようなものだと考えており、販売することは考えていませんでした。しかし、妻が「どうせ作るなら販売しよう」と言い出したので、目標があったほうが頑張れるかもしれないと、僕も妻の提案に乗っかってみることにしました。
いざ作り始めたら何もかもが分からなくなった
僕がデザインを制作するタイミングは、常にクライアントさんからの相談が始まりでした。クライアントさんには希望のデザインがあり、仕様がありました。
しかし、自発的なデザイン制作は、全てが自由でした。どんな表現をしても、どんなデザインにしても、誰も何も言ってくれません。「面白いかも」と思って作り始めても、次第に「本当に面白いのか?」「こんなものが売れるのか?」と不安になりました。
不安だらけの初出店
それでも、10年以上、デザインに携わってきたというちっぽけなプライドで、どうにかこうにか、10種類程度の缶バッジをデザインして、地元で定期的に開催されているハンドメイド系イベントに出店してみることにしました。
期待半分、不安半分の出店でしたが、自分が思っていた程は売れず、自分が思っていた以上に売れたみたいな、そんな不思議な感覚でした。物販の難しさを体感するとともに、実際に足を止めて「可愛い」「面白い」と会話している様子は、クライアントさんから直接感想を聞く機会が少ない僕にとって大きな経験になりました。
「よし!色々なイベントに出店して!頑張るぞ!」と考えて、色々なイベントに出店の申し込みをしていた矢先に、新型コロナウイルスによるパンデミックに見舞われました。
手応えを感じていた矢先のコロナ禍
新型コロナウイルスによるパンデミックは本当に衝撃的でした。僕は常々、デザイン業に文化的な意味合いがあるとしても、衣食住に直結していない、ある種の「贅沢業」だと感じていましたが、その認識をまざまざと見せつけられることになりました。
毎日のように、様々な業種に臨時休業が要請され、この仕事は良い、この仕事はダメ、この仕事はエッセンシャルワーク、と分類される中にデザイン関連業は含まれていませんでした。これまでの自分の認識のとおり、デザイン業はある意味で不必要な仕事だと痛感させられました。
緊急事態宣言が発出されても、在宅の個人事業主だった僕の労働環境に大きな影響はありませんでしたが、長年、一緒に仕事をしていた代理店さんやクライアントさんの一部は臨時休業やテレワークに移行しました。そのため、一時的に制作案件の多くが止まりました。
制作作業に追われているときは、落ち着いたらあれをやろう、これをやろうと色々考えているのですが、いざ、何もやることがない状況になると、不安から何も手に付かず、朝、PCを起動して、メールやメッセージアプリ、プロジェクト管理ツールを確認しては、夕方にPCをシャットダウンする日々が続きました。
そんな、悶々とした日々を過ごす中で、ふと「歴史的に見て、人類はスペイン風邪や重症急性呼吸器症候群など、常にウイルスの危険性に晒されながらも何とか乗り越えてきたから、きっと今回も大丈夫なはず」と気持ちを奮い立たせ、仕事がないなら、雑貨の種類を増やそうと、不安を忘れるかのように、毎日せっせとデザインを作り続けました。
その結果、今では100種類を超える缶バッジ、10種類を超えるメッセージカードやトートバッグ、シールなど、色々な雑貨を販売しています。
コロナ禍によって仕事が止まり、未来への不安しかない中で、何とか気持ちを前に向かせることができたのは、雑貨作りに没頭できたからだ、と感じています。
まとめ
デザイン業は、衣食住に直結しない贅沢業との考えに、今も変わりはありませんが、それでも、コロナ禍の先の見えない不安を乗り切れたのは、デザイン制作に、没頭できたからだと感じています。
僕は、アーティストではないため、デザインを介して世間に何かを主張したり、疑問を投げかけたい、と考えることはありません。ただ、子供の頃から、何かを考えて、それを形にすることへの「楽しさ」だけで、デザイン制作を続けられているように感じています。
PCは高額化し、デザインアプリも買い切りではなく、毎月、利用料金を支払うサブスクリプションになりました。絵が描けず、PCでしかデザイン制作ができない僕にとって、将来的に趣味が維持できなくなると考えています。
だからこそ、デザイン制作ができる今を楽しみ、色々なことに興味を持ち、20数年後の未来のために、PCがなくても没頭できる「何か」を探し続ける毎日です。